ココ・アヴァン・シャネル

結構期待して見に行った一本。
オドレィ・トトゥの来日インタビューをいくつか見ていたからか、
(この女優さんはきれいだ。
 そこに立っているだけで、きれいだ。
 シャネル自身だと言われれば納得するだけの自信にあふれていていると思う)
シャネルの生誕100周年(だっけ?)のおかげで、
いろんな面からたくさんの映画が作られているからか、
どんなお話になっているのか、かなり楽しみだった。
画像


結局、期待していたのはドキュメンタリータッチで
「シャネルってスカート短くしたのよ」とか
「コルセットなくしたのよ」とか
「パンツスタイルをファッションに取り入れたのよ」とか
「黒もファッションよ」とかが
ドラマチックに語られることを予想していたのだと思う。

確かに、「ココ」という女性として、服の作り手として大成功しただけではなく、
そうなるまでのドラマチックな人生は、すべてが映画のようだとは思うのだけれど、
彼女の生きた時代には、女性が男性社会の裏にあるものであり、
楽しませるものであり、頼らなければ生きていけない存在だったことを考えれば、
彼女自身が「進歩的」なのではなくて、
男性社会の中におぼれないように流されないように、
それでも大きく舵を切って反対側へ泳ぎだそうとはしない、できない
そういう立場での生き方を見せられたような気がする。
そうしなければ生き残れなかった、
そうしなければ、生きている実感を持ちたいという気持ちが具現化しなかった立場にいたのではないか、
とさえ思う。
だから確かに恋物語なのだけれど、
男に頼らざる得ないのだけれど、振り回されても振り回されても求めずにはいられない
その立場が現代よりもより強く表されていた時代だったのかもしれないとさえ思う。

見る側にいた私は、彼女成功物語を期待していたから、
最後に、あっという間に「世界のシャネル」になってファッションショーをしているのが
なんとなく物足りなかったのだと思う。

この人は「働きたかった」というモチーフが貫かれなかったことで、
「生きる」こと「生き続ける」ことの最中にいる者にとっては
「信念」を持ち続けているのではなくて、
後から考えると、あれが自分の信念だったんだなと思ったり
他人が評価したりするものなのだと思った。

ちょっと消化不良だったけれど、
フランス映画としての、ココ・シャネルはこれで完全形なのだと改めて感じた。
「フランス映画だから」という表現は正しくないかもしれないが、
生きていた彼女自身が自然体だったから、映画も成功物語である必要はないのである。
消化不良でいいのかもしれないと一日経って思った。

映画館は、連休だからかなり混んでいるかなあと思ったが、
邦画の方が入りがよかったらしく、結構ゆったりと見てきた映画。
今も昔もお洋服を着る体は細い方がいいのかも…





オリジナル・サウンドトラック「ココ・アヴァン・シャネル」
ジェネオン・ユニバーサル・エンターテイメント
サントラ

ユーザレビュー:

amazon.co.jpで買う
Amazonアソシエイト by ウェブリブログ

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック